沖縄で出会った「師弟物語」

 

昨年暮れの沖縄JOCジュニアオリンピックカップ(以下JOCカップ)で大会前から最も注目されていたのが広島の小先勇輝選手(甲田中3年)だった。
実際に彼のプレーを見て、多彩なシュートや鋭いフェイントワーク、絶秒なアシストワークなどに目を奪われ、広島選抜を率いた甲田中・竹本秀樹監督が「視野の広さとスピードの中での判断力、選択肢の多さは素晴らしい限り」と絶賛するのも当然と思えた。

この時期、中学3年生ともなれば180㎝前後の選手たちが数多く登場し、そんな中で155㎝の小柄な身体が目立ってしまうが、そんなハンデを感じさせぬプレーの数々に一瞬にして魅了された。やはり「ファンタジスタ」の言葉がどんぴしゃりだった。
 それで今回のハンドボール愛ジャーナルは、この小先選手と運命の糸が結ばれるように一緒に歩み続けた竹本監督との師弟物語を中心にリポートしてみた。

“ファンタジスタ”小先に熱視線

 小先選手のプレーを初めて見たのは2015年3月22日、駒沢体育館での日本リーグプレーオフ決勝に先だって行われた第4回JHLジュニアリーグ決勝戦だった。
所属した湧永レオリック安芸高田クラブは、それまで西ブロック1位を独占していた沖縄勢を破っての初進出で、東ブロック1位の北電ブルーロケッツとハイレベルな戦いを演じた。12-18と敗れはしたものの、第2セットまで一進一退の攻防を展開し、この試合でキャプテンとして出場した小先選手は4得点をマークしておおいに気を吐いた。
ちなみにこの時の北電には、今回のJOCカップ・決勝トーナメント1回戦で顔を合わせた福井の“得点マシーン”藤坂尚樹選手(明倫中)がおり、両チーム最多の6得点を叩き出して優勝の立て役者となった。その後、中学に進んでからも全国舞台で躍動を続けた2人は、まさに最大、最高のライバルとなった。

小先選手は甲田小1年生から安芸高田クに加入してハンドボールを始めた。3才上の従兄弟がハンドボールをやっていたのがきっかけだった。
生まれた時から小さくて、小学校入学時には105㎝しかなかったという。それからというもの、ずっと列の先頭が定位置だった。
それでもスポーツをすれば一番目立った。とくに「すぐに大好きになった」ハンドボールでは無類の才能を発揮した。バスケットボール選手で鳴らした両親(僚さん・峯子さん)の血筋もあってかボールセンスが際立っていた。
そして、なにより身長のハンデをカバーしようとテクニックやジャンプ力、筋力アップなどに励む努力を惜しまなかった。研究心も人一倍で、峯子さんによれば「試合から帰ると、なにするよりも先に主人が撮ったビデオ映像をチェックし、悪かった点などを修正したりしてイメージトレーニングしていたし、ハンドボールのユーチューブ動画もたくさん見ていたようです」と、まさに“ハンドボールの虫”という感じで育った。

運命の糸に結ばれた情熱監督

そんな彼がが甲田中に進んで竹本監督とめぐり会う。
同じ甲田中のハンドボール部出身でJOCカップ3位、夏の全国中でもベストエイトになった竹本さんは、熊本の千原台高から福岡大に進学し、卒業後は地元に帰って甲田中の臨時講師や中学の教員資格を取るために大学に復学したりして2年間を過ごした。
しかし、採用試験に合格するには至らず、その後は地域振興事業団など民間の仕事に4年ほど従事した。

それでも竹本さんは教員の夢を捨て切れなかった。どうしてもハンドボール指導者になりたいとの強い思いで4年前の春に退職届けを出した。しかも、2人のお子さんを持つ真緒夫人と結婚し、さらにはそのお腹には新しい命が宿っていた中での一大決心だった。

そして、大きな転機が訪れる。それは衝撃的ですらあった。「まずは当面の生計を立てねば」とハローワークに足を運んで求人案内票をチェックしていたところ、なんと「安芸高田市の中学校常勤講師』の紙があり、すぐ電話で確認した所、ハンドボールの指導できる教員を探している、ということだった。

「その時は運命を感じましたね。1年間は貯金して講師をするための準備期間にしよう思っていたので本当にラッキーでした」と竹本さん。すぐにも手続き、面談をすませて母校の甲田中講師、ハンドボール部監督としての新生活がスタートすることになった。

2年目の春に小先選手らの精鋭メンバーが入学し、1学年上で同じ安芸高田クで一緒にプレーしていたアタッカーの姉ヶ山選手(現・岩国工高)らと組んだ甲田中は、2016年3月の春中で全国優勝の快挙を成し遂げ、センセーショナルな話題を呼んだ。

これを弾みに竹本さんと甲田中セブンは一途に走り続けた。その年の夏の全中は2回戦で敗退したものの広島メイプルレッズジュニアと組んだ12月のJOCカップで3位になり、昨夏の全中で準優勝に輝いた。

その一方で竹本さんの教員チャレンジも続いた。折しも昨年の教員採用試験は全中の日程と重なったことから、ベンチの采配とチームの引率は学校長と女子部外部コーチの田中雅彦さん(湧永製薬OB)にゆだねた。
気が気ではなかったが1回戦から勝ち進む選手たちのがんばりに勇気づけらた。そうして気持ちを集中して臨んだ採用試験で見事に合格。「子どもたちのがんばりに背中を押してもらいました」と笑顔を浮かべた竹本さんの9年越しの夢がこうして実を結んだ。

JOCカップも決勝進出!

 春中準優勝の広島メイプルレッズジュニアと連合を組んだ今回のJOCカップも好調に勝ち上がっていった。ヤマ場と見られた決勝トーナメントの福井戦は、前半途中で4-9と引き離された場面から、「彼は凄すぎました。どうやっても守れなくて、これ以上離されると勝負にならなくなってしまう」(竹本監督)との判断で、相手のスーパーエース・藤坂選手を密着マンツーする作戦が功を奏し、苦しい展開をはね返して1点差の逆転勝利を収めた。
試合の随所で好プレーを連発させた小先選手の活躍ぶりは光りに光った。

竹本監督をサポートしたメイプルレッズの倉岡知代コーチは「会うたびに成長していますね。とくに中2の終わりごろから心が成長しました。いくら自分のプレーがよくてもダメからと、周りを使うことを覚えたことが大きいです。小学生の時は“イケイケゴーゴー”の選手で、勝っても負けてもすべてが自分でしたからね。コーチの話も聞き入れてくれるようになりました」も全幅の信頼を寄せた。

そして最終日、決勝進出を果たした広島と対戦したのが愛知選抜。小先選手ら甲田セブンにとっては夏の全中で苦杯をなめた滝の水中を主体にした強敵だった。
試合は終始先行して14-12と折り返した愛知が後半も主導権を守り、23-18と5点差をつけての栄冠獲得。夏のリベンジを期していた小先選手や竹本監督にとって悔しい結果となった。
「ウチのベストのプレーをさせてもらえなかったです。いろいろやってはみたものの、負けたのは監督の責任。選手たちには、よくやったよ、次のステージでがんばれと言葉をかけました」と竹本監督。小先選手に対しては「あの子のお陰でここまで来さえてもらいました。これからも自分の良さを伸ばし、各カテゴリーの代表になって世界と戦える選手になってほしいとです」と最大限のエールを送った。

大きい相手に通用する選手に!

 中学生最後の試合を戦い終えて清々しい表情で閉会式に臨んだ小先選手に、いくつか質問をぶつけてみた。

--これまでどんな思いでハンドボールをやってきたの?
小先「背は小さくてもフェイントだったり、ブラインドだったりと、自分の持ち味を磨くことで大きい相手に通用する選手になりたいと思ってやってきました」

--3号ボールは大きくなかった?
小先「最初は大きいと感じたけれど、なんとか慣れました。自分らしさは発揮できたと思います」

--ハンドボールの魅力はどんなところ?
小先「他のスポーツにはない、跳、投、走すべてのスポーツの要素が揃っているところです」

--ハンドボールの動画ではだれがお気に入りかな?
小先「安平(光佑、冨山・氷見高2年)さんのテクニックは素晴らしいし、自分の見本になると思って何度も見ています」

--スウェーデンのブラニエス(166㎝と小柄ながらスウェーデン代表のセンターとしてオリンピックメダリストになった世界的な名手。現ブンデスリーガ・フレンスブルグ監督)の動画は見たことある?
小先「はい、あります。身長が小さくてもシュートフェイントや間を割っていくプレーがすごいですね。スピードや自分の小ささを逆に強みにするような突破力が素晴らしいと思います。僕もフィジカルをつけてあんな選手になれるようがんばります」

--中学3年間のハンドボールを振り返って今の気持ちは?
小先「春中優勝に始まって、こうして全中、JOCカップでも準優勝という結果が得られて満足しています。チームメイトや応援してくれた方々に感謝です」

--高校進学は?
小先「(2015年の)大阪インターハイを見学した時に大分雄城台と愛知の試合を見て、雄城台の山本晃大選手(現・法政大2年)のプレーがとても素晴らしく、平井(徳一)先生とお話ししてすごく印象が良かったので雄城台への進学を希望しました」

ジュニアアカデミーに抜擢!

 そんな小先選手に対し、母・峯子さんは「子どもの夢を応援したい気持ちでいます。身体が小さくてNTSが中国どまりだったのがすごく悔しかったようですが、アカデミー合宿(昨年11月30日~12月3日)に選ばれたのがことのほか嬉しくて親子で号泣しました。竹本先生に伸び伸び育てていただいたお陰なので本当に感謝しています」と笑みを浮かべた。

アカデミーというのは今年度からスタートしたNTAジュニアアカデミーのこと。
「日本ハンドボールのオリンピック出場、メダル獲得に向けた中期・長期継続強化計画のためのエリート教育」を趣旨に、世代別代表候補選手へ直接的にアプローチする育成強化活動システムだ。
中国地区の大会などで彼のプレーを何度もチェックし、アカデミー招集へと導いた麻生薫さん(U-16女子代表監督)は「テクニック、才能、努力を評価しました。アカデミーは育成分野なので、この身長だからこのプレーをしていればいいというラインを引かず、大きい選手があの子が持っているテクニックを獲得しようとする目標になり、彼自身もコントローラー、起爆剤になるうる選手として強く推しました」と話した。

そして、アカデミー合宿で実際に小先選手らを指導した大原雅広さん(U-16男子コーチ)は「“小先効果”は絶大でしたね。スピードの使い分けや視野の広さ、さらには身のこなしなど各種トレーニングへの対応力がすごくいいし、体幹のブレがなく安定して走りこなすあたりに非凡さを感じました。情熱、メンタル、考え方、礼儀正しさも一級品。U-16代表あたりまで通用するのは間違いないと思いますが、それからカテゴリーが上がっていった時にどうなるか、大きな興味と楽しみを感じさせる選手です」と頬を緩めた。

ちなみにフォローしている小先選手のツイッターをチェックしてみると、そのアカデミー合宿中の連日のツイートに「楽しい!」の文字が頻繁にあったのが印象的だった。

「猛獣使いになれ!」

 そんな高い評価、絶賛する声が集中する中で苦言、注文をつけたのが河上千秋さん。ナショナルトレーニングセンター専任コーチングディレクター、そして発掘育成プロデューサーとして小先選手のアカデミーへの抜擢を決めた責任者だ。
閉会式が終わったあと、河上さんは小先選手を諭すようにこう話した。
「大きい選手に対してどう打開するかを見ていたけど、まだ夏からの課題をクリアできていないね。だからあえて表彰選手に選ばんかったよ。勝てばMVPをあげたけどね。
これは世界基準の選手になるよう目標を高く持ちなさいというゲキだからね。自分が生きることばっかりのプレーではなく、人を生かす、周りを生かすプレーをしないとね。これは宿題だよ。君は猛獣使い、像の上に乗っているネズミにならんとね」

河上さんの目を見つめた小先選手は1つひとつの言葉にしっかりとうなずいた。アカデミー合宿は年間10回程度計画され、1回は4~7日間のプログラムになるという。
4月から新たなステージが待っている。夏には早々とインターハイの舞台に登場し、さらにはU-16代表となって韓国を相手にファンタジスタが躍動する姿を想像するだけで心が弾んでくる。そして、ユース、ジュニア、フル代表へと駆け上っていく期待感を胸に、これからずっと見守りたいと念じて沖縄をあとにした--。