1月18日の日本vsカタール戦のあと、引き続いてクウェートvsUAE戦を見た。
クウェートの試合を見るのは2007年9月、愛知県豊田市で開催された北京オリンピックアジア男子予選以来のこと。

代表者会議で並んだ各国代表

忘れ得ぬ13年前の醜悪な世界

13年前にそこで目にしたものは、とてもスポーツとは言い難い醜悪な世界だった。
長くアジアハンドボール連盟(AHF)の中心組織を牛耳っていたクウェートによる暴挙が堂々とまかり通っていたのだ。
これがスポーツなのか、すべてのスポーツマンが夢に描くオリンピックの代表が、こんな形で決まってしまうのかと、たまらなく悔しく、やるせなかった。

『中東の笛』ーー2000年前後からアジアのハンドボール界は暗い闇に包まれていた。
中東で開かれる国際大会がことごとくクウェートが優勝するように「試合操作」されていたのだ。
中東だけでなく釜山で開かれた2002年アジア大会も『中東の笛』に蹂躙されてしまったが、日本開催ならそんなことにはなるまいと淡い期待も抱いていた。
しかし、それが…。

もう2度と見たくない光景だった。
とくにひどかったのがクウェートvs韓国戦。
ラインの手前20、30㎝で踏み切っても韓国選手に着地の判定が下された。明らかに2、3歩でもオーバーステップ。ルールで許されている身体接触も、ほんの少し触っただけで退場や7mスローの笛が鳴った。
特に韓国のスーパエース、ユン・キョン・シンには容赦なく、彼は最後までコートに立つことさえ許されなかった。

あまりにひどい状況に、韓国ベンチだけでなくスタンドからも怒りの声が飛び、ペットボトルが投げ込まれた。
それでも、ハンドボールは俺たちのためにある、それがどうしたと言わんばかりに不適な笑いを見せるクウェートの選手たち。
もう、見るに耐えなかった。喉元に込み上げる汚物をこらえるのに必死だった。

カタールvsUAE戦のを公平なジャッジが嬉しかった

『中東の笛』が社会的現象に

試合後、スタンド下の通路から親子連れの声が聞こえてきた。
「お父さん、ハンドボールっていつもこうなの。だったらハンドボールが嫌いになりそう…」
その父親は言葉少なに「ごめんね。そうじゃないんだけどね」といい、我が子の小さな肩にそっと手を置いた。
親子で楽しみにしていたはずのハンドボール観戦が最低な日になってしまった。それをうまく説明できない様子が痛々しかった。

そして、『中東の笛』は国を超えた大騒動となり、翌年1月の東京・代々木第一体育館でのオリンピック再予選が連日メディアに大々的に報じられ、一大社会現象となったことは多くの人がご存知だろう

ハンドボールを、スポーツを冒涜する時代がいつまでも続くわけもなかった。
ハンドボールに留まらず、多くの競技を支配をしようとする〝闇の世界〟を暴かれたクウェートは、その後、国際スポーツ連盟機構(IOC)からの制裁が課され、それを受けて国際ハンドボール連盟(IHF)の処分が下り、アジアでの国際活動が長く禁止された。

公平なジャッジと全力プレーに感動

そして10年余りの月日が流れ、再びアジアの舞台にクウェートが登場した。しかも自国開催のスタンドは多くの観客で埋まっていた。
1次リーグ最後のUAE戦。注目したレフェリーのジャッジは極めて公平に運行されているのが手に取るようにわかり、時間の経過とともに一生懸命にプレーするクウェート選手たちの姿に目を奪われた。
一方のUAEが2次リーグのグループを睨んでの思惑が見え隠れし、明らかに勝利を望まぬプレーシーンが何度もあったことが余計にそう感じさせた。

これは正真正銘のスポーツマンの笑顔だ

クウェートに対する嫌悪感がスーッと拭い去られていく思いがした。
当時、こんな笑顔なんて見たら怒り心頭だったろうが、スポーツは公平、公正であれば、がんばっている選手たちの必死のプレーに対して自然に心動くものだ。
そう、悪いのは選手ではなかったのだから。

『笛』が守るべきものとは!

アリーナも素晴らしく立派だった。
今大会をきっかけに再びクウェートがアジアのトップゾーンに復活する日が近いと、そう思えた。
笛に守られての戦いではレベルアップなどできない。
笛は特定の国やチームを守るのではなく、戦っているすべての選手のために、フェアプレーの精神と、そしてハンドボールという競技そのものを守るものだということを改めて強く認識した。

大観衆で埋まった立派な大アリーナ