この正月で嬉しかったのは、やはり母校の箱根駅伝4連覇達成です。本当に強かった! 駅伝ファンや各校応援の皆さまには申し訳なかったのですが、復路の8区からは独走レースとなったため、朝起きして鶴見中継所ー大手町まで駆けつけた初優勝当時の感動とはまた別の落ち着いた喜びという感じでした。

ところが、フニッシュ直前のアナウンサーの熱い語り口に心揺さぶられました。

それは太平洋戦争下にあって、軍部の圧力で駅伝が中止を余儀なくされている中、「死ぬまでに走りたい」という学徒動員された若者たちの切なる思いで自主開催された幻の箱根駅伝のエピソードでした。

青学の箱根は「昭和18年」が出発点

昭和18年、靖国神社と箱根を結んたこの駅伝のことはなぜか秘密のベールに伏されていましたが、そこに青学大も果敢に出場し、最下位ながらもしっかりと歴史にその名を刻んでいたのでした。

「ゴールは靖国、そして戦地へ」ーー襷をつなぐたび、ゴールするたびに誰もが号泣したといいます。
2年前にノンフィクションライターの澤宮優さんが著書「昭和十八年 幻の箱根駅伝」で紹介し、75年前の感動の史実が明らかにされたのでした。

「青学最初の箱根は昭和18年」ということを、こうして多くの人に知っていただき、私の喜びも倍加したわけです。

澤宮さんと「代打の神様」がつなぐ糸

 また澤宮さんは「代打の神様」の著書でプロ野球界の名選手・麻生実男さんを紹介したことから、麻生さんの娘で私がイチオシ応援するアンダーカテゴリーの女性指導者、"麻生ちゃん"こと薫さん(岡山・倉敷東中教諭)と繋がり、それから澤宮ファンの1人として数多くの著作を楽しませていただいています。

しかも、澤宮さんも青学大の同窓生。数年前に関東学生ハンドボールリーグ観戦で立教大体育館を訪れたとき、隣の会場で関東学生拳法リーグが開催され、そこに出場していた青学大拳法部コーチを務めていた澤宮さんと初対面もしました。

さらに、昨年末の沖縄JOCカップ会場で、KING松中信彦さんのことをアップしたFacebookにいち早く澤宮さんからコメントをいただいたとき、なんと私の隣にいたのが麻生ちゃんでした!

もうこれは運命的としか言いようがありませんね。

そんなわけで、図々しくも澤宮さんにはいつかハンドボールを題材とした作品を手がけていただきたいし、麻生ちゃんには、持てる才能を周囲の理解と応援を得てさらに伸ばし、たくさんの若きハンボーラーの未来を豊かに導いてほしいと思います。

必要以上の悩み、苦しみは背負わずに、「三百六十五歩のマーチ」じゃないけど、休まず歩を進めていきましょう!

みんながんばっているし、すべてうまくいくような巡り合わせを箱根駅伝のゴールフィニッシュに感じたものでした。

復活元年の野球部にも注目

 青学ついでにもう一つ。やはり夫婦ともども青学卒の甥っ子家の三男がこの4月からから青学野球部の一員になります。

新年度の青学は、あの小久保裕紀さんや井口資仁さんらを育てた河原井正雄さんが采配をふるい、友人のHonda野球監督の長谷川寿さんも河原井さんの愛弟子になります。

久しぶりに連絡が取れた長谷川さんから「恩師、河原井さん体制1年目なので、おおいに期待してますし、1部昇格に貢献してもらうようがんばってほしいです。OB会の理事としてたまにグランドいきますので声かけますね」とメッセージを送ってくれました。がんばれよヒサヤ!

 

ちなみに私の青学のクラスメイトにはシドニー・オリンピックの代表監督を務めた大田垣耕造さんがいます。彼にも会いたいし、ここ5年ほど疎遠になっているクラス会を野球応援を兼ねてやろうじゃないかと仲間たちに声をかけみたいと思います。

ハンドボール部もがんばれ!

 それにしても女子バレー部もインカレ優勝を飾ったとかで駅伝ばかりでなく青学運動部はかなりがんばっています。

さあ、三須義之監督率いるハンドボール部も2部リーグ中位(昨年秋季リーグ7位)からランクアップするかな? 今春の関東リーグを注目することにしましょう。