昨日4日に春の高校センバツ予選が終了し、3月神戸の本大会に出場する全代表が出揃いました。 3日に観戦した関東高校選抜大会の会場となった國學院栃木高体育館は25年前の栃木インターハイの会場となったところで、当時の忘れえぬ思い出が蘇りました。

蘇る國學院栃木高会場での大失態

 今回は2月3日のみ関東予選男子1位グループ戦が行われた國學院栃木高校会場に足を運び、藤代紫水-昭和第一、市川-浦和学院、駿台甲府-國學院栃木の3試合を観戦しました。

時間の都合でフルに試合を見たのは市川が快勝した1試合のみでしたが、若い選手たちの躍動ぶりを目にして「球春近し!」を肌で感じ、浮き浮き気分になりました。

さて、この國學院栃木高校には忘れられない思い出があります。

それは1993(平成5)年夏の栃木インターハイでのこと。折しも停滞した前線の影響で総合グラウンド会場で予定された大会2日目と3日目が大雨で急きょ会場が変更され、この國學院栃木高校の体育館3コートを含む5コートに各試合が振り分けられました。

当時、私がスポーツイベント編集部の取材リーダーだったこともあり、この國學院栃木高の3コートを担当したのですが、ここの体育館は学校入り口近くにある1コートのほか、キャンパス奥にある2フロアの体育館を利用しての開催でした。

この学校に行かれた方はお分かりでしょうが、奥の体育館までは結構長い急坂があり、入り口の体育館からの往復移動はなかなかの体力を要します。

そんな中、朝から夕方まで3つの会場を走り回って全試合を取材したのですから超ハードな2日間になりました。

それぞれ移動時間もかかることから、10数分で次々と会場を移動するために試合の流れをしっかり把握することなどできません。

そんな時に大失態をしでかしてしまったのです。

それはハーフタイムで6-11と劣勢だったチームが敗退したと思い込み、試合後しばらくたってから出会った監督さんにコメントを求めた時に「残念でしたね」と切り出したところ…

「あの~、ウチは勝ったんですが…」と不思議そうな顔をしたのが駿台甲府の八田政久監督(現・同校校長)でした。

駿台甲府はこの時がインターハイが初出場で馴染みが薄く、何回も全国出場していた伝統校を相手に「分が悪いのでは」という先入観念や思い込みがあったのは事実です。

試合は19-18で駿台甲府が鮮やかな逆転勝利!

とんだ大間違いでしたが、八田監督は少しも嫌な顔をせず、その大会以降も勝敗に関わらず、きちんと取材対応していただき、いつも感謝していたものでした。

また、この時に「どんな時でも予断などせずに取材時間がなかったなら、その旨を相手に実情を伝えて真摯な気持ちで取材しなければ各チームに失礼にあたる」との反省を、その後の取材に生かすことができました。そんなことで八田さんは私の記者人生の恩人の1人にあたる方だと思っています。

因縁の会場で駿台甲府が関東制覇!

そして、駿台甲府高はその栃木インターハイから連続出場を途切れさせることなく現在に至っています。

また、八田監督からバトンタッチした愛息の政史さんが昨年から監督としてチームの采配をふるい、今回この國學院栃木高が会場となった関東選抜大会で優勝したのも何か因縁めいたものを感じました。

会場入り口近くで顔を合わせた政史監督に「お父さんが…」と当時のことを話していたら、すぐそばにお父上がいて「そう、この会場でしたね」と大笑いしました。

さらにその横にいたのが、あの栃木インターハイで初優勝に輝いた富岡高キャプテンで、現在は同校の監督を務める栃谷則史さんでした。

当時のスポーツイベント特集号の表紙を飾った栃谷さんの勇姿もありありと思い浮かびました。

あれから25年。記憶は鮮明に蘇りましたが、違っていたのは奥の体育館からの坂を1往復しただけでもフーフーと息を荒くしてしまったこと。

あの時は若かったな思いつつ、この体力の衰えをどうにかしなければと、またまた大反省して國學院栃木高校をあとにしたのでした。