氷見で輝いた”新潟の星”

圧倒的な強さで「絶対本命」と言われた夏舞台で頂点に立った氷見高校。安平光佑選手ら“ハンドボールの聖地”で生まれ育ったタレントたちが躍動した一方で、ハンドボール後進圏とも言われる新潟から巣立った窪田礼央選手の存在感も極めて大きかった。
1ヵ月ぶりにご紹介する今回の「HANDBALLジャーナル」では、そんな家族愛に支えられた“新潟の星”をクローズアップしてみた(写真は左・加奈子さん、右・耕也さんの両親と礼央選手)。

 

「絶対本命」の本領発揮!

春のセンバツ王者で「今大会の絶対本命」と目された氷見(ひみ・富山)が藤代紫水(茨城)の挑戦を36-28と退けて16年ぶり2回目の栄冠に輝くとともに今秋の福井国体で3冠達成に挑むことになった。

抜群のハンドボールセンスで大活躍した安平光佑選手や決定力のあるシュートで得点を量産した清水裕翔選手らとともに優勝の原動力となったのが189㎝の長身ヒッター窪田礼央(れお)選手だ。
試合後、テレビ解説した銘苅淳選手も「攻守におけるチームへの貢献度は極めて高かった」と好評価した。

氷見市立西條中→氷見高と、ここまで全国のトップゾーンをひた走る強豪チームの先陣を走ってきた窪田選手だが、ハンドボールキャリアをスタートしたのは“ハンドボールと魚のまち”で知られる氷見市ではなく、新潟県柏崎市で活動する柏崎ジュニアだった。

2009年新潟国体の2年前に発足した同チームに加入すると、当時から長身で運動能力にも恵まれた窪田少年はすぐにもチームの得点源として活躍した。
しかし、新潟のハンドボールレベルと言えば、全国上位にランクされる富山や福井、石川らに大きく見劣りするのは否めず、北信越大会など県外チームとの対戦では大差をつけられての敗戦ばかりだった。

「安平くんと一緒にやりたい!」

そんな中、父親の耕也さんによれば「根っからの負けず嫌い」の彼は「中学に行っても負け続けるのはイヤだし、もっと高いレベルでハンドボールをやってみたい」と強く思い始めたという。
柏崎市内どころか新潟県内にはハンドボール部のある中学校はなく、柏崎ジュニアと連動するHC柏崎でプレーする選択肢はあるが、どうしても全国のトップレベルからは程遠い状況。

柏崎高でハンドボールキャリアのあった耕也さんも“ハンドボール後進圏”の悲哀を感じて育っただけに、なんとかしたいと思ったし、4歳上の兄が「中途半端な活動だったハンドボールに中学校で見切りをつけた」悔いも残っていた。

そうして6年生になった我が子から思いもよらない言葉を聞かされる。「あの安平クンと一緒にハンドボールがしたい」と懇願されたのだ。
そう、今大会の注目を独り占めした安平選手は、ハイレベルな窪スポーツ少年団で小学4年生からレギュラーとなって全国舞台でもスーパープレーを連発する怪童として傑出した存在だった。

雲の上の存在に憧れて

序盤敗退がほとんどで窪スポ少とは対戦経験はなかったが、決勝でもダブルスコアで大勝するなど圧倒的な戦いぶりを見るたびに抜群のテクニックで縦横に躍動する安平選手のプレーに衝撃を受け、すっかり魅了されていたのだ。

とくに安平選手と親密な会話をしたことも、仲のいい友人関係でもなかったが、彼が進学する西條中を自らパソコンで調べるなど熱い想いはつのるばかりだった。
「当時の光佑クンは雲の上の存在で、まさに息子の片思いみたいなもの。もう一方的な憧れでしかなかったですからね」と耕也さん。

そんな願いを聞かされてから半年ほど家族会議が続いたという。親族を頼りに東京や三重の有力チームも候補にあがったが、窪田選手の気持ちは一貫して変わらなかった。

しかし、いくら本人の希望が強くても、それを実現するにはいくつものハードルがあった。中学生を単身で見ず知らずの地に下宿させるわけにはいかないし、当然のように経済的な負担もある。高校生の兄への心配もあった。簡単にうんそうか、と言える話ではなかった。

母親の最終決断で氷見の地へ

そして、最終的な決断を下したのは母の加奈子さんだった。
「礼央の夢をかなえてあげられるなら私が氷見で一緒に暮らすことにするわ」と腹をくくったことで、小学校卒業後は柏崎と氷見に分かれた窪田家の新生活が始まった。

その一方でうれしかったのが地元柏崎の人たちの応援エール。「礼央の夢は柏崎、そして新潟ハンドボールのレベルアップにつながること。大きく成長して戻ってきてくれればそれでいい」と温かく送り出してくれたのだ。

それから6年目を迎えた今年。春のセンバツに続いて夏のインターハイを勝ち取った氷見高校の名が一段と光り輝いた。
西條中に進んだ当初は、柏崎とのあまりに大きなレベル差、質量とも桁違いの練習に目を丸くするばかり。通常の部活練習に加えて安平選手の父親が指導する自主練もあった。

「練習キツすぎで泣きそうになりました」と振り返った窪田選手だが、そのハードな練習が苦にならない体力と技術が身につき始めると、もうハンドボールが好きで好きでたまらない“氷見の送球ボーイズ”に変身し、最終学年になった冬のJOCジュニアカップではオリンピック有望選手に選出されるめざましい成長を遂げた。

中学卒業時で182㎝の身長が高校でも伸び続けて189㎝になり、190㎝ある父親と肩を並べるまでになった。
しかも、この1年で体重が10㎏アップでして87㎏になり、持ち前の高打点攻撃とディフェンスワークにいっそうの強さと迫力を増した。
チームに帯同する栄養士さんのサポートもあるが、やはり我が子を大きく成長させたいとするる母の深い愛情がなによりもの味方になったのは言うまでもない。

“ハンドの聖地”でめきめき成長

今では兄が東京の仕事につき、柏崎の耕也さんは「逆単身赴任みたいですよ」と苦笑いしながらも、欠かさず試合応援に駆けつける“追っかけ生活”が楽しみでならない。
窪田選手も故郷が大好きで、1日でも休みがあれば日帰りで柏崎に戻り、つかの間の家族団らんを過ごすという。
加奈子さんも「不安はたくさんありましたが、こうして春、夏と優勝できたし、氷見に行ってサポートした甲斐がありました」と笑顔をほころせた。

春夏制覇を成し遂げたことで秋の国体での3冠達成に周囲の期待はふくらむ一方だ。
「プレッシャーは大きいですが、そのプレッシャーを力に変えて国体も優勝できるようもう一度、イチからやっていきたいです。
そして、氷見に行くことを反対せずに快く応援してくれた両親には一番感謝しています」とためらいなく話した窪田選手。

西條中時代は最終学年で春中、夏の全中を優勝しながら、安平選手の故障リタイアもあってJOCカップで準決勝敗退した悔しさもあり、首尾よく目標達成して両親にでっかいプレゼントを贈りたいと改めて闘志が込み上げてきた。

それと合わせて大きなターゲットとなるのは9月ヨルダンでのアジア男子ユース選手権だ。福井国体と日程が一部重なって序盤は欠場するが、前回の世界ユース選手権で史上初のベスト8入りした先輩たちに続いての出場権獲得は至上命令となる。
そうしてヨーロッパを初めとする海外勢相手に持てる力を存分に発揮し、世界キャリアを積んでほしいと願うのみだ。

世界への道を切り開け!

ユース代表の植松伸之介監督(明星大男子部ヘッドコーチ)は「攻守において高いレベルでバランスの取れた選手であると同時に、ムードメイカーでもあり国際舞台で物怖じしない強いメンタルを持ち、ユース代表にとっても欠かせない選手」と窪田選手に信頼を寄せる。

さらに「将来的には日本を代表して世界と互角に戦えるような選手になりたいです」と口にする彼に対し、「自分の身体を生かしてのプレーは素晴らしい限り。国内から世界とステージが上がれば、頭を使った考えるプレーをもっと身につける必要があります。誰にも同じことが言えますが、そのためにもアジアを突破して世界を肌で感じ、さらなる成長につなげてほしいです」と期待を込めた。

“良きライバル”と前進一途

憧れの存在であり最も自分を成長させてくれた安平選手の存在について聞いてみると「光佑は思っていないかも知れないけれど“良きライバル”です。同じ大学に進むので次のステージでもともにがんばります」ときっぱり。

自分を温かく送り出してくれた故郷の人たちへの感謝の気持ちも忘れてはいない。
「大学4年間の国体では“ふるさと選手”として新潟の勝利に貢献したいです」と言葉を弾ませてインタビューを締めくくってくれた。

氷見で輝いた“新潟の星”を、これからも注目、応援したい気持ちがいっそう高まった。

氷見優勝の原動力になった㊧から清水、窪田、安平のバックトリオ