ハンドボールの世界にあんな人こんな人がいると皆さんに紹介して行きたいと思います。
第1回目は、ハンドボール界のレジェンド植松シンさんの登場です。
ドイツから帰国して順天堂大学コーチをしていた時に故南木貞夫さんとのご縁があり明星大学のプロコーチに就任して頂いた経緯もあります。
ハンドボールステーション再開に最もふさわしい熱い男です。by Yamamoto駅長
こんにちは植松伸之介です。
私は現在、明星大学男子送球部監督・U-21男子日本代表監督を務める傍ら、全国各地で小学生から大学生を対象としたクリニック、また指導者を対象としたコーチング講習や講演、小学生クラブチームのコーチやボール運動教室の講師などもやりながら、海外でハンドボールをしたいと希望する選手のお手伝いもしています。
小学6年生でハンドボールと出会い、中学・高校と素晴らしい指導者のお陰でこの競技の魅力と奥深さを知ることができ、選手としての活動を終えた今も仕事として関われる事に大きな喜びを感じています。
16年間に及ぶドイツでの経験は私のハンドボール人生を語るうえで欠かせないキーポイントとなり、競技以外の部分においても言語・思考・友人など、私の人生観を変えたと言っても過言ではないほど刺激的なものとなりました。
「行っちゃえばなんとかなるだろ!」と2000年6月に単身ドイツに渡りましたが当然のごとく文化の違いと言葉の壁にぶち当たりました。
アジア人が珍しいのか、子供は見えなくなるまで振り返ってガン見。近所の人や買い物に行ったスーパーでも、こちらが喋れなくてもお構いなくドイツ語でまくし立てられる毎日。
人種差別も含め自分が外国人だということがすごくストレスになって周りの視線に過敏になり、人に会うことが怖い時期もありました。
練習や試合においてもよく「日本人にはパスが回ってこない」とか「無視や嫌がらせされる」などはよく聞きますが、当時の私に対するチームの扱いは「日本人ハンドボールのルール知ってるんだスゴイねぇ!」「日本人パスキャッチできるんだスゴイねぇ!」といった類の言葉で常に見下される毎日でした。
基本的にレジスタンス精神が強い私は「絶対にプロになってやる!」「ドイツ語ネイティブくらい喋ってやる!」「ビール飲む量もドイツ人に負けない!」と目標設定しクリアしていきました。
大変なことや苦しいことは山ほどありましたが、そんな中でもドイツでハンドボールが出来ることの喜びがストレス解消でもあり不思議と辛いと思ったことは一度もなく、幸いにも16年間大きな怪我も無く、世界最強リーグであるハンドボールブンデスリーガでもプレイすることができ、キャリア終盤には監督も経験。そして今も繋がる素晴らしい友人達に出会えたことは、当初私が思い描いていた目標以上の得難い経験となりました。
現在は海外でプレイする選手が増えていますが、皆さんがそれぞれの環境で日本では経験できない貴重な体験をして、選手としても人間としても大きく成長されている事と思います。そんな経験をした人達が日本のハンドボール界に刺激を与えることが活性化に繋がるのではないかと考えています。長くいるほど本質や感覚的な部分にも気づくはずなので、出来れば2・3年で帰って来て欲しくないですね…。
「ここは日本だから」という言葉を私も帰国してから散々受けました。
カブレてるつもりも無いしメソッドや戦術をヨーロッパの真似することが良いなど思ったことはありませんが、ヨーロッパが発祥の競技であり現男女日本代表の監督がヨーロッパ人ということからも日本ハンドボールの進もうとしている方向性は解せると思いますし、何をするべきかも見えてくる気がします。
私のコーチングがそうですが、自身の経験から日本のスタイルに合うようにアレンジし新しいアイディアを現場で選手と対話しながらがトライ&エラーを繰り返し「使えるもの」を生み出していますし、常にアップデートを心がけています。
前回のU-19世界選手権では「日本の常識は世界の常識じゃない」(ハンドボールでもそれ以外でも…)とDFの強化をテーマに取り組み、『掴む・引っ張る・ブッ倒す』を選手達に実際の欧州リーグの映像を使ったり、時にはデモンストレーションで伝えていきました。
当初は躊躇したり「こんな事して大丈夫?」という雰囲気でしたが、国際試合での経験が「これくらいやって良いんだ!」と自信に変わり、スタッフと選手達の考えがしっかりフィットしました。それにより本番では目標としていたベスト8は逃したものの、クロアチアを倒し9位入賞することができました。これは私の考えや経験が上手く選手に伝わったひとつの事例となりとても勉強になりました。
私自身まだ日本でコーチとしての実績や成果は多くありませんが、帰国後に順天堂大学大学院でコーチングを学んだ内容とドイツでの経験から「教えるのではなく引き出す」というマインドが今の仕事に強く反映しています。
勝敗にこだわり過ぎるあまりに選手を型にはめている現場を度々目にする機会があります。考え方や価値観は三者三様ですが、型や方法だけでなく考え方や本質を勉強し理解しようとする選手・指導者の方々が増え、競技としての質と魅力が更にアップする事もハンドボールが今後日本に普及していく為の要因のひとつになってくるのではないかと考えています。
最後に、昨年6月6日に逝去された南木さんには、生前私を息子のように気にかけ可愛がって頂きました。
現役時にはドイツまで2度取材も兼ねて夫妻で遊びに来てくれました。一緒に温泉に入ったりビールを飲みながらハンドボール談義もしました。
日本へ帰るつもりが無かった私のもとへ恩師と共に説得に来てくれ、『きっとこの経験が日本で必要とされる時が来る!若い選手や指導者に伝えることが出来るのは本物を経験してきた奴だけだ!』という熱い言葉をかけて頂き、その言葉で帰国を決意したという経緯がありました。
1年が経ちますが、今も試合会場で会えるような気がするし「シッカリやってるか?」と電話がかかってくるような気がしています。
感染症による混沌とした社会情勢が続き、ハンドボールだけでなくスポーツ界全体が思うような活動が不可能な状況ではありますが、この難局を乗り越えて日本のハンドボールが更に盛り上がり、この競技をツールとして様々な形で仲間が繋がっていく事を南木さんも楽しみにしていると思います。
そして、ハンドボールを愛し発展を望んでいた南木さんが立ち上げたこのハンドボールステーションを、仲間が意志を引き継いで情報の発信源と交流の場として再スタートされたことはとても素晴らしいと感じると共に、多くのハンドボールファンと同様に嬉しく思っています。
今後、私もハンドボールファミリーの一員として、携わる全ての方々にハンドボールの魅力を伝えながら、競技の発展と普及に微力ながら携わっていきたいと考えております。
植松 伸之介
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