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沖縄JOCカップで野球界のスーパースターが福岡選抜男子チームにベンチ入りしていた。元福岡ソフトバンク・ホークスの松中信彦さんだ。プロ野球における平成唯一かつ最後の3冠王レジェンドがなぜにハンドボール、それもJOCカップのコーチを務めたのか、KINGの異名をとる松中さんの話を聞くことができた。
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「自分のいろいろな経験が選手たちの役に立ち、ハンドボールのPRになればと思って引き受けました。今後もハンドボールを応援していきます」と語るレジェンドの言葉は実に頼もしく、とても嬉しく感じられた。
野球界のスーパースターが沖縄へ
昨年のJOCカップに出場した長男の大輝クン(現・西南学院高1年)を応援に会場に足を運んだことからハンドボールにがぜん肩入れし、今年7月の日韓定期戦を観戦に訪れ、スタンドからダグルJAPANに熱い視線を送ってくれた。
そして、自ら「KINGS」のリーダーになり、今年9月に第1回のハンドボールクリニックを実施した。初回には河原亮さんや久保有希さんらJOC福岡選抜スタッフのつながりで大崎電気の岩本真典監督や宮﨑大輔選手、東祐三選手、森淳選手もかけつけ、参加した地元中高生の中には日本代表入りしてブレイク中の部井久アダム勇樹選手(博多高)の姿もあった。
ちなみに松中さんのニックネーム「KING」は、3冠王になったときに川﨑宗則選手(現ホークス)がそう呼んだからという。
ホークスをメインとしたプロ野球解説や企業向けの講演活動をする松中さんが、野球のほかハンドボールやホッケーなど多種目のスポーツに注目し、それぞれに触れあって応援していくことでハンドボールの認知度も上げていきたいという狙いから「KINGS」の活動がスタートしたものだ。
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ハンドボールの役に立ちたい!
「ハンドボールは素晴らしいスポーツなので、このスポーツの魅力をアピールしてメディアにも取り上げられ、ハンドボールの人口を増やすためのお手伝いができないものかと思いました。オリンピックの歴史を見ても、野球よりハンドボールが上回っているのは明らかですからね。このスポーツはもっともっと注目されていいはずです。
今後はKINGSを使って定期的に九州に有望選手を集めての合宿をやったりと、そんなことをやりながら2024年のパリ・オリンピックにも代表選手を送り込む手助けができたらと考えています」
ハンドボールのことを話す松中さんは、眼光鋭くバッターボックスに立っていたプロ野球選手当時では想像できないほど穏やかな表情だった。
いかに自分の力を発揮できるか!
今大会の直前になって、そんな松中さんに福岡選抜の河原監督からベンチ入りの要請があった。「チームのメンタル面のコーチングをお願いしたい。そしてハンドボールをたくさんPRしてほしい」との熱い言葉にKINGの心が動いたのだ。
「いかに全国大会で自分の力を発揮できるかという点で、技術のことは言えないけれど、野球を通した色々な経験が役立つのではと思いました。
やぱり全国の大舞台ではメンタルの部分が大きなウエイトを占めるもの。話をするのは個人で取った3冠王などではなく、銀メダルに輝いたアトランタ・オリンピック(1996年)や金メダルを勝ち取ったWBC(2006年)のことが多く、チームが1つになって短期決戦に臨む心構えみないなものが中心になります。
WBCではキューバとの決勝よりも、準決勝の韓国戦を崖っぷちで勝てたのが大きかったと自分ではそう思っています。韓国にはそれまで2回、3回と負けてましたからね。
ハンドボールは野球より流れが激しく動きますし、一発大逆転もありません。だから取れるところはしっかり取る。相手がミスしたら、そこをついて1点ずつ積み重ねていくことが大切なんです。また大舞台でフワフワした気持ちになりがちですが、今までやってきた以上のことをやろうとすると緊張してしまいます。今までやったことしかできないし、それをしっかりやればフワフワなんてしないんだよと声をかけてきました。
とにかく楽して勝てる甘い大会ではないでんす。子どもたちが日本一になるんだという気持ちならば力になりたいと、そんな思いで引き受けました」
レジェンドの口から語られる言葉の1つひとに重みがあり、なによりも説得力があった。そして、ハンドボールのPRにも寛大な胸の内を明かしてくれた。
「ハンドボールが少しでも注目され、話題にもなるならばとの思いもありました。ベンチ入りするだけで沖縄の新聞に載って会場に足を運ぶ人が増えるなら、そんなこともハンドボールの認知度がアップするでしょうからね。
また、子どもたちのお父さん、お母さん世代は自分のことをよく知ってくれているので、自分から気さくに声をかけたりするのもいいかなとも思いました。なにより親たちの言葉は子どもに影響がありますからね」
心待ちしたいKINGとの再会
残念ながら福岡選抜は予選リーグ1勝1敗で決勝トーナメントに進出はならなかった。兵庫に勝利した翌日の茨城戦。後半17分14-18と引き離されながら、北原選手のミドルなどで必死に食い下がったものの、19-21と惜しくも2点差で涙を飲んだ福岡セブンだった。
ベンチから何度もゲキを飛ばした松中さんだったが「選手が動かんかったです!」と試合後は小さく首を振った。
「ベンチ入りは最初で最後です。でも息子のためもあるし、僕もハンドボールの勉強をしないといけないので…」と短い言葉を残して会場をあとにした。
試合前日の24日もテレビ放映された日本選手権の男子決勝戦を食い入るように見ていたという松中さんだった。無念さが漂うその広い背中から「たくさん試合を見てもっとハンドボールを応援するからね」という頼もしい言葉をかけられた気がした。
これからも試合会場で何度もお目にかかれるのではなかろうか。とくに松中さんが可愛がっている部井久アダムが27日ポーランドでの国際大会でベラルーシ相手に7得点を奪う大活躍だった。まずは新春1月13日の日本vsバーレーン戦でアリーナ立川立飛のスタンドにKINGの姿があることを皆さんと一緒に心待ちしたいものだ!